ドン・ペリニヨン
(Dom Pierre Pérignon, 1638~1715)
シャンパンを創ったのが、清貧、実直であるべき修道僧、ドン・ペリニョンだったとされている。
そのため、現在世界最大のシャンパン・メーカー・モエ・シャンドン社が、特醸物に「ドン・.ペリニョン」と名付けている。
世界の大金持ちやスノビッシユな人たちは、これを飲むのを鼻にかけている(バブル期の銀座でもよく見られた)。
かのジェームズ・ボンドも美女とドン・ペリニョンを売り物にしているし、このシャンパンを飲む情景を描く小説もあとをたたない。しかし、ドン・ペリニョンだけが極上のシャンパンではないし、ドン・ペリニョン伝説も必ずしも総てが真実ではない。
中世では、シャンパーニュ地方のワインを「川のワイン」と呼んで高い評判を呼んでいた。イル・ド・フランス地方の「フランスのワイン」と区別するためだった。
「川のワイン」つまりアイなどマルヌ川沿いの丘陵で産するワインは、フランソワ1世が戯れに自らを「アイとゴネスの王」と称していたほどである。
「山のワイン」つまりランス周辺の丘陵の斜面で、ピノ・ノワール種などから造られる赤ワインも次第に評価されるようになり、ルイ14世の宮廷ではブルゴーニュのニュイの赤ワインと競う程にもなった。
このワインは、発泡性のワインではない。(当時の赤ワインは、赤ワイン用の赤か黒皮ぶどうと、白ぶどうとを混醸した色の薄いもので、今日のような濃い赤ワインではなかった)
シャンパーニュ地方は、フランスでもワイン産地の北限に近い寒冷地方だから、秋遅くに収穫したぶどうを仕込むと、初冬の寒さのためワイン酵母が休眠し、いったん発酵を中止し、春になると再び発酵を始めることがあった。これは秋に瓶詰めされたワインが、再発酵によって発泡性を帯びることを意味していた。
この現象に気が付いている人がいた。ドン・ペリニョンである。彼は、スペインから来た巡礼僧が携帯瓶にコルク栓を使っているのに目をつけ、これを活用して「ワインに泡を閉じこめた」と言うのが通説になっている。(「世界最古の発泡性ワイン」はラングドックの
AOC・Limoux(リムー)で、ベネディクト派の
St-Hilaire(サン・ティレール)修道院のカーヴで、コルクで閉めた瓶の中でワインが発酵し、泡だっていることを修道士が偶然発見したと言う。シャンパーニュのドン・ペリニオン師の伝説よりも1世紀も早い発見である。)
ドン・ペリニョンがエルベネ近郊のベネディクト大修道院の酒蔵係になったのは1668年で、盲目であったので、嗅覚と味覚が一層鋭敏であった。異なる畑や異なる年のワインをブレンドして洗練されたものに仕立てあげたことは確かである。また、今日のように透明で美しい白ワインを造りあげたのも、彼の功績である。(当時の技術では赤か黒い果皮のぶどうを使うと、どうしてもワインに色がついた)