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この悪弊に対して、ブドウ栽培者・醸造者・商人の同業組合が行政当局と共同で様々な規制を設け、ワインの取引と品質管理を行うのだが、何といっても、グールメの誕生が大きな働きをなした。
グールメは、ワインの生産者と顧客の間で、利き酒、値付けはもとより、売買斡旋から出荷までの一連の業務を通して力を振るった。グールメは同業者組合から選らばれた地域の名士が担ったから、時には権力の乱用もあったが、おおむね鑑定には信が置かれ、ワイン取引に貢献した。このワイン鑑定人が、後世、料理鑑定人へと変貌していく。	
 
	
	
 
 
 	
 
	
混迷した経済と戦禍によって荒廃した葡萄栽培は、18世紀中葉から後期に掛けて奇跡的に復興する。それは、都市人口の増加が新しい市場を作ったからである。 30年戦争後、荒廃した自国を逃れ、移住して来たドイツ人やスイス人を始めとする周辺の国々の人々とその子孫に加え、近代工業化の波が、都市に人を集めた。 無論、ペスト禍や戦禍が遠のき、平和が訪れたことが最大の要因であるが、様々な人種や文化が交錯し、時代の流れを吸収して留まることのない国際都市ストラスブルグという町が復興の牽引車であったことは間違いない。
 
 
	
 
	
	
 
 
		
	
 
	
 (私、A氏に生命保険を奨めたいのですが、これならどんな事故でも保障します。ええ、重病の方でももちろん。少し割増しの保険料さえ払っていただけるのでしたら、契約を結びます)
アルザスに足を踏み入れると、たとえばこんな会話が聞こえてくる。初めてこの地を訪れた者にとつては、一瞬ドイツ語圏に迷い込んだような気がするが、よく聴くとそうでもない。なかにはフランス語(イタリック部)も混じっている。そこでようやく合点がいく。これがアルザス語というものなのだと。
ゴール人、アラマンやフランクなどのゲルマン人、ローマ人、ユダヤ人、さらにフランス人……と、
古来よりこの地に定住した民族は数多い。そんな彼らの持ち込んだ言語が、先住言語と競合しつつ、根付き、今日のアルザス語を形作っていったのである。
 
(私、A氏に生命保険を奨めたいのですが、これならどんな事故でも保障します。ええ、重病の方でももちろん。少し割増しの保険料さえ払っていただけるのでしたら、契約を結びます)
アルザスに足を踏み入れると、たとえばこんな会話が聞こえてくる。初めてこの地を訪れた者にとつては、一瞬ドイツ語圏に迷い込んだような気がするが、よく聴くとそうでもない。なかにはフランス語(イタリック部)も混じっている。そこでようやく合点がいく。これがアルザス語というものなのだと。
ゴール人、アラマンやフランクなどのゲルマン人、ローマ人、ユダヤ人、さらにフランス人……と、
古来よりこの地に定住した民族は数多い。そんな彼らの持ち込んだ言語が、先住言語と競合しつつ、根付き、今日のアルザス語を形作っていったのである。 
 
 
			
「ワインの民族誌」 筑摩書房(ちくまライブラリー17)