ローヌ河は、古代ローマ文化と葡萄栽培を北方の国々に伝播させた大動脈であった。
ワインを求める北方の市場へ輸送費を節約しようと、古代のぶどう栽培者たちはワインの運ばれる主要な輸送経路に沿って、出来る限り栽培地を北へと伸ばしていったが、その北限は、ローヌ河沿いのコート・ロティやエルミタージュとタルン川の航行可能な地点にあるガイヤックのぶどう畑で、時期は紀元前後であった。 しかし、「ローマの平和(紀元前1世紀末~200年間)」確立後、農業技術が進歩すると、寒さや湿気に強い新しい品種が作り出され、ぶどう栽培の北限は数百キロ北へ押し上げられ、その結果として、現在ぶどう畑が見られる緯度にまで達することができたのである。
このシトー派の修道会を、その後育てあげたのが聖ベルナールである。
シャブリにおげるブドウ栽培の創始者もシトー派修道院であるが、シャブリのブドウ栽培地にシャルドネ種が移植されたのは、フィロキセラ危機以後の再建の時期からのようである。 シャブリ地区は100%近い白ワインの産地であるが、フィロキセラ危機以前の昔は、 シャブリの赤ワインも決して珍しいものではなかったようである。