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    1828年、ドイツ人・ジョセフ・ボランジェによって創業された。品質にこだわる醸造元の代表格。
 
      
  
 シャンパンの最高の造り手と言われている。古樽を使い、低温長期発酵を行い、徹底した伝統的、職人的ワイン造り。
    シャンパンの最高の造り手と言われている。古樽を使い、低温長期発酵を行い、徹底した伝統的、職人的ワイン造り。   1818年創設以来家族的経営で、少量逸品主義を保持。伝統的製法で高品質を追求してきた。「アイの宝石」と言う愛称を付けられている。
    
    しっとりとしていながら生き生きとした泡立ち、フルボディだが重たくなく、力強いのに荒削りのところがない。それに優雅さが加わる。
 
    1818年創設以来家族的経営で、少量逸品主義を保持。伝統的製法で高品質を追求してきた。「アイの宝石」と言う愛称を付けられている。
    
    しっとりとしていながら生き生きとした泡立ち、フルボディだが重たくなく、力強いのに荒削りのところがない。それに優雅さが加わる。 ド・スーサは、レコルタン・マニピュランのエリート中のエリートと評されている。
    ド・スーサは、レコルタン・マニピュランのエリート中のエリートと評されている。 1838年創業のドイツ系のグランド・マルクの名門で、アイの丘の小高いところにあり、その歴史を色濃く物語っている。現在の当主は5代目。家族経営で着実に業績を上げてきた。
    
    熟成の妙のよく出たソフトなシャンパンの代表格。
 
    1838年創業のドイツ系のグランド・マルクの名門で、アイの丘の小高いところにあり、その歴史を色濃く物語っている。現在の当主は5代目。家族経営で着実に業績を上げてきた。
    
    熟成の妙のよく出たソフトなシャンパンの代表格。 エグリ・ウーリエは、秀逸なドメーヌ・シャンパンの造り手として、大きな尊敬を集めている。
 
    エグリ・ウーリエは、秀逸なドメーヌ・シャンパンの造り手として、大きな尊敬を集めている。 高品質でその名の高いレコルタン・マニピュランの代表格。
 
    高品質でその名の高いレコルタン・マニピュランの代表格。   地味な社風のジョゼフ・ペリエは、味にうるさい人をうならせる切り札を揃えている1825年創業の名門。
     
    地味な社風のジョゼフ・ペリエは、味にうるさい人をうならせる切り札を揃えている1825年創業の名門。 1849年創設。ロジェ家は由緒ある家系で、エルベネの丘陵地帯とコート・デ・ブランに100haに及ぶ畑を所有している。
   
    1849年創設。ロジェ家は由緒ある家系で、エルベネの丘陵地帯とコート・デ・ブランに100haに及ぶ畑を所有している。 1911年、ウジェーヌ・エメ・サロンが、自らの楽しみのためシャンパンを造ろうと、同一畑(ル・メニル村)で、同一収穫年(偉大な年のみ)のシャルドネの単品種にこだわり、シャンパンを造り始めたのが会社の起こり。 
  
    現在はローラン・ペリエ・グループの傘下にあるが、この創業のポリシーを頑なに守り続けているユニークな醸造元。
  
    1911年、ウジェーヌ・エメ・サロンが、自らの楽しみのためシャンパンを造ろうと、同一畑(ル・メニル村)で、同一収穫年(偉大な年のみ)のシャルドネの単品種にこだわり、シャンパンを造り始めたのが会社の起こり。 
  
    現在はローラン・ペリエ・グループの傘下にあるが、この創業のポリシーを頑なに守り続けているユニークな醸造元。 1772年ランスの銀行家クリコ家が創設。二代目の妻が夫の死後、難局を乗りきり、売上を20倍にする成功をおさめ、今日の基礎を作る(Veuveは未亡人の意味)。 
  
    「いかにして品質を落とさず、生産量を増やすか」と言うグラン・メゾンなら避けて通れない問題を見事に解決しているのがクリコである。
  
    毎年、大量(年間800万本以上)に送りだされるノン・ヴィンテージ・ブリュットがシャンパーニュの中でも間違いなく最も品質が高く、安定している。
    1772年ランスの銀行家クリコ家が創設。二代目の妻が夫の死後、難局を乗りきり、売上を20倍にする成功をおさめ、今日の基礎を作る(Veuveは未亡人の意味)。 
  
    「いかにして品質を落とさず、生産量を増やすか」と言うグラン・メゾンなら避けて通れない問題を見事に解決しているのがクリコである。
  
    毎年、大量(年間800万本以上)に送りだされるノン・ヴィンテージ・ブリュットがシャンパーニュの中でも間違いなく最も品質が高く、安定している。 大手メーカーがひしめくエペルネの中にあって、小メーカーではあるが、1864年創業の名門。自社畑を持たないが、信頼のおける農家からブドウを買っている。
  
    大手メーカーがひしめくエペルネの中にあって、小メーカーではあるが、1864年創業の名門。自社畑を持たないが、信頼のおける農家からブドウを買っている。 1851年ランスで、このシャルル・エードシック社を起したシャルル・カミーユ・エードシックは、「シャンパン・チャーリー」と言うミュージカルまで作られた異色の人物で、アメリカでシャンパンを売りまくり、波乱の人生を送って社業を盛り立てた。以来堅実な運営で今日の地位を築く。
  
    現在はコニャックのレミー・マルタン社の傘下で、酒造りは伝統的だが、醸造管理は近代技術を駆使している。
    1851年ランスで、このシャルル・エードシック社を起したシャルル・カミーユ・エードシックは、「シャンパン・チャーリー」と言うミュージカルまで作られた異色の人物で、アメリカでシャンパンを売りまくり、波乱の人生を送って社業を盛り立てた。以来堅実な運営で今日の地位を築く。
  
    現在はコニャックのレミー・マルタン社の傘下で、酒造りは伝統的だが、醸造管理は近代技術を駆使している。 デュヴァル・ルロワは、コート・ド・ブラン地区にある数少ない大手メーカーの1つで、南端のヴェルチュ村にある。
 
    デュヴァル・ルロワは、コート・ド・ブラン地区にある数少ない大手メーカーの1つで、南端のヴェルチュ村にある。 アイ村にあって、大手シャンパンハウスではなく、傑出したシャンパンを少量造るレコルタン・マニュピランの代表格がガティノワである。
 
    アイ村にあって、大手シャンパンハウスではなく、傑出したシャンパンを少量造るレコルタン・マニュピランの代表格がガティノワである。 1808年創業以来家族的経営を続けているメゾン。ネゴシアンと言うよりレコルタンと言っていいほどで、自社畑で、必要量の9割を賄っている。畑の6割がコート・デ・ブラン地区、残りがモンターニュ・ドランス地区にあることからみても、造るシャンパンはシャルドネの比率が高く独特の味わいを持つ。
  
    アンリオは、色の濃い方で泡立ちが長い。口当たり滑らかで果実味豊かである。「ブラン・ド・ブラン」は、完璧なほどのバランスを持つ個性的な逸品。
    
    なお、ボルドーのシャトー・ムートンのロートシルト家が「Reserve Baron Philoppe du Rothschild」のラベルで出しているシャンパンはアンリオの造ったものである。
    
    栽培地: 115ha+葡萄購入
  
    1808年創業以来家族的経営を続けているメゾン。ネゴシアンと言うよりレコルタンと言っていいほどで、自社畑で、必要量の9割を賄っている。畑の6割がコート・デ・ブラン地区、残りがモンターニュ・ドランス地区にあることからみても、造るシャンパンはシャルドネの比率が高く独特の味わいを持つ。
  
    アンリオは、色の濃い方で泡立ちが長い。口当たり滑らかで果実味豊かである。「ブラン・ド・ブラン」は、完璧なほどのバランスを持つ個性的な逸品。
    
    なお、ボルドーのシャトー・ムートンのロートシルト家が「Reserve Baron Philoppe du Rothschild」のラベルで出しているシャンパンはアンリオの造ったものである。
    
    栽培地: 115ha+葡萄購入 創業は1760年だが、ジャン・バチスト・ランソンが引継いで、1858年現在の社名にする。
   
    創業は1760年だが、ジャン・バチスト・ランソンが引継いで、1858年現在の社名にする。 1812年、アイ村でネゴシアン業を始めたのが会社の起源。その後長い間、家族経営でシャンパンを造っていた。
   
    1812年、アイ村でネゴシアン業を始めたのが会社の起源。その後長い間、家族経営でシャンパンを造っていた。 1743年創設のシャンパーニュの最大メーカー。3代目ジャン・レミーの時代の顧客リストには、ナポレオン1世他貴族や社交界の著名人が連ねられている。 
  
    「ブリュット・アンペリアル」はナポレオンとの親交から名付けられた。最もポピュラーで、代表銘柄の<白ラベル>は、すきりとした爽やかなタイプ。同社の特醸品<ドン・ペリニョン>はあまりにも有名。
    
    栽培地:768ha+葡萄購入
    
    1743年創設のシャンパーニュの最大メーカー。3代目ジャン・レミーの時代の顧客リストには、ナポレオン1世他貴族や社交界の著名人が連ねられている。 
  
    「ブリュット・アンペリアル」はナポレオンとの親交から名付けられた。最もポピュラーで、代表銘柄の<白ラベル>は、すきりとした爽やかなタイプ。同社の特醸品<ドン・ペリニョン>はあまりにも有名。
    
    栽培地:768ha+葡萄購入 モンターニュ・ド・ランス地区でもマルヌ川に面する南斜面にピノ・ノワール種のトップにランクされ、格付け100%のプージー村がある。この村に自社畑を持ち、その畑のブドウだけで醸造・熟成・瓶詰を一貫して行う、いわゆる、ドメーヌ・シャンパンの造り手がポール・バラである。
  
    村の畑に関しては隅から隅まで熟知し著書まであるこの造り手のシャンパンは、大手メゾンにない味わいを持つ逸品。
  
    モンターニュ・ド・ランス地区でもマルヌ川に面する南斜面にピノ・ノワール種のトップにランクされ、格付け100%のプージー村がある。この村に自社畑を持ち、その畑のブドウだけで醸造・熟成・瓶詰を一貫して行う、いわゆる、ドメーヌ・シャンパンの造り手がポール・バラである。
  
    村の畑に関しては隅から隅まで熟知し著書まであるこの造り手のシャンパンは、大手メゾンにない味わいを持つ逸品。 1734年ジャック・ブルーノが創設。畑もそうだが、同社のカーヴはローマ時代のものと言う由緒を持つ。
 
    1734年ジャック・ブルーノが創設。畑もそうだが、同社のカーヴはローマ時代のものと言う由緒を持つ。 1827年ドイツ人のマムが興したメーカー。3代目のジョルジュ・フォン・マムがそれまで手作業だったコルク栓をボトルにねじ込む作業を始めて機械化した。
   
    1827年ドイツ人のマムが興したメーカー。3代目のジョルジュ・フォン・マムがそれまで手作業だったコルク栓をボトルにねじ込む作業を始めて機械化した。 売上実績は、4位だが、1836年の創業で、家柄、規模、名声は横綱級。
   
    売上実績は、4位だが、1836年の創業で、家柄、規模、名声は横綱級。 1811年コルク・メーカーのペリエ家が興す。ワーテルローの戦いの後、英国で大成功を収める。19世紀初頭には、アール・ヌーボのエミール・ガレのデザインした壜で売り出し、「花のシャンパン」と呼ばれ、パリとアメリカで大ヒットした。(現在のヴィンテージ・シャンパンや特醸品の壜はガレのデザインを復活させたもの) 
    
    会社はペリエ家の手を離れ、健在はシーグラムの傘下に入っている。
    
    1811年コルク・メーカーのペリエ家が興す。ワーテルローの戦いの後、英国で大成功を収める。19世紀初頭には、アール・ヌーボのエミール・ガレのデザインした壜で売り出し、「花のシャンパン」と呼ばれ、パリとアメリカで大ヒットした。(現在のヴィンテージ・シャンパンや特醸品の壜はガレのデザインを復活させたもの) 
    
    会社はペリエ家の手を離れ、健在はシーグラムの傘下に入っている。 ドン・ペリニオンを手助けしたのがドン・ルイナール。彼はベネディクト派の高僧で、当時名を馳せた博学の文筆家でもあった。
 
    ドン・ペリニオンを手助けしたのがドン・ルイナール。彼はベネディクト派の高僧で、当時名を馳せた博学の文筆家でもあった。