両国社会の違いは、きわめて多岐にわたるが、ここでは最も重要と思われる2点にしぼることにしよう。
第一は人種的な多様性である。私が40年前にはじめてドイツからパリヘ旅して驚いたことはまさにこれであった。フランス国民が人種的混血によって形成されたことはすでにのべた通りであるが、19世紀末いらいの移民の増加は、この国を人種的にさらに多様化することになった。工業の急激な発展、出生率の低下、労働力の不足など、主として経済的理由からフランスは移民を歓迎した。今世紀のはじめ100万に過ぎなかつた外国人の数は今日では400万(総人口約5860万)を超えている。出身地もさまざまで、南欧諸国のほか、アルジェリアをはじめとする北アフリカのマグレブ諸国、ニューカレドニア、タヒチ、仏領ギアナなど遠く海外植民地におよぶ。
一方ドイツでも、ことに第二次世界大戦後、外国人の数はいちじるしくふえ、トルコをはじめ南欧、旧東欧からの外国人労働者や難民など700万(総人口約8200万)を数えるが、フランスと違ってもともと人種的には均質性を保ってきたので、依然としてゲルマン系が主体をなしている。
もっとも最近両国では、外国人の国籍取得に関して、相反する傾向が顕著となつてきた。フランスではこれまで、外国人がフランス国籍を取得しやすい出生地主義がとられてきた。しかし失業の増大から、右翼の国民戦線の外国人排斥運動が拡大する中で、国籍取得条件が制限される方向にある。
一方ドイツでは、1998年発足した社会民主党(SPD)と「90年連合/緑の党」との連立政権の下で、国籍取得にきびしい従来の血統主義から出生地主義へと転換がはかられつつある。
第二は宗教に関してである。フランスが圧倒的にカトリックの国であるのに対し、ドイツでは新旧両教が併存する。今日、国民の40.8%がプロテスタント、34.8%がカトリックであるが、フランス人にはドイツは、北欧諸国と同様プロテスタント的な性格の強い社会として映っている。社会における教会のプレゼンスは、ドイツはフランスに比べて非常に大きい。
かつてフランスは自らを「ローマ教会の長女」と称し、宗教改革のさいもプロテスタントを追放してカトリシズムを貫いた。しかし革命から共和制の時代を経て、カトリック教会の勢力は後退し、1905年にはついに国家と教会は分離され、フランスは「脱宗教の」国となった。
だがこれと対照的に、ドイツでは教会と国家・社会との間には、依然として不可分の関係が存在する。戦後この国の政治を指導してきた二大政党の一つは、「キリスト教民主/社会同盟」(CDU/CSU)である。公立学枚では宗教教育が行われ、所得税のうち最高10%(州により異なる)が教会税として徴収され、教会の財政にあてられている。日曜日には公共放送を通じて聖職者による講話が流される。いずれもフランスでは考えられないことである。80年代はじめの西ドイツの反核運動の中心となったのは、教会と緑の党であった。ベルリンの壁を崩壊させた東ドイツの自由化運動は、ライプツィヒの教会から始まった。
こうした違いには、やはり歴史的な背景がある。第一に、強力な中央集権国家として発展してきたフランスでは、教会あるいは宗教に対する国家の優位が早くから確立された。第二に、ドイツでは、宗教改革によって新旧両教に分かれたキリスト教が、かえって新たな生命を獲得した。第三に、18世紀にフランスでは「理性」こそ人類進歩の力であるとする啓蒙主義者によってカトリック教会は攻撃され、大革命で国家と教会との緊張関係はさらに強まった。
これに対してドイツの啓蒙主義は、「信仰」と「理性」の結合を貫いた。そしてドイツ統一後も、プロイセンはじめ各邦において新旧両教とも国教的地位を保ったのである。
ちなみに、社会に対する宗教の影響力の違いを示す例として、興味深い指摘がある。何か失敗をして「それは私の落ち度ではない」と言い訳をする時、フランスでは「ス・ネ・パ・マ・フォート」とフォート(英語のミステイク)という日常語を使う。
だがドイツでは「エス・イスト・ニヒト・マイネ・シュルト」という。シュルト(罪)という宗教的表現が依然として日常的に生きているのである。