この道は、かつて「エル・カミノ・レアル(王の道)」と呼んでフランシスコ会修道士たちが布教のため北上し、葡萄栽培をアメリカに最初に伝えて北上して行ったルートでもある。
セントラル・コーストは南北に非常に長いので、
北部:Central Coast-Northと
南部:Central Coast-South
の2つにページ分けした。
この北部では、古くからの産地である
Livermore (リヴァモア)と
Santa Cruz Mountains(サンタクルーズマウンテンズ)の2つのAVAと、小地域のAVAを含む、より広範囲な
Monterey(モントレー)と
San Benito (サン・ベニート)
について述べる。
この地に、葡萄栽培が始まったのは150年以上前で、カリフォルニアでも長い歴史を持つワイン産地である。
1869年仏のCh.d'Yquem (Ch.デイケム)のソーヴィニオン・ブランの接木が植えられたところとも言われ、19世紀末にはワイナリーの数も20を越えていたが、禁酒法で殆ど消えた。
禁酒法時代を乗り越えて、現在もワイン造りを続けているワイナリーが、
Wente(ウェンテ)と
Concannon(コンキャノン)で、1800年代末期創設の老舗である。
白ワイン、とりわけ個性的なソーヴィニオン・ブランの白ワインで知られているが、現在、シャルドネ、カベルネ、シラー等も植えられている。
第二次大戦後の宅地化、近年のシリコン・ヴァレーの発展で、葡萄畑は縮小される傾向にある。
この地も、古い葡萄栽培地であったが、禁酒法時代に総て消失し、その時代の老舗は残っていない。
モントレー湾の冷気をまるでじょうごの口を広げたように吸い込むサリーナス・ヴァレーは、湿気の多い海風で周辺のようには高温にならない。極度に乾燥しているが、サリーナス川の地下水脈から灌漑用水を引けるから、青果の一大産地であった。
カリフォルニア大学ディヴィス校が、海の影響を受ける冷涼な気候で葡萄栽培に理想なヴァレーと分類したことで、1960年代以降、大企業と優遇税制処置による個人投資家によって、葡萄畑一辺倒に変わり、その栽培面積は広大に広がった。その大半のワイン(シャルドネが圧倒的)は、セントラル・ヴァレーの大企業にバルクで売られ、より温暖な地域のワインとブレンドされ、カリフォルニアワインというごくありふれた呼称のワインとして売られている。
101号ハイウェイの西側山麓のGonzalesからKing cityに掛けて、
Santa Lucia Highlands (サンタ・ルシア・ハイランズ)
Arroyo Seco (アロヨ・セコ)
San Bernabe (サン・ベルナーベ)
などのAVAがあるが、多くはワインの生産地ではなく、葡萄の栽培地である。
*モントレーは、強い海風で変形した松林や白砂の美しいカーメルの海岸線やゴルフ場(Pebble Beach)が多くの観光客を集めているが、スタインペックの作品の多くの舞台でもある。
この地の有名なのは、Mt Harlan・AVA (マウントハーラン)の
Calera wine company (カレーラ)。
標高1800fの高地にワイナリーがあり、畑は更に上の、2,200fと言う高地にある。ブルゴーニュに似た石灰岩土壌の畑で造るピノ・ノワールはブルゴーニュに勝るとも劣らないカリフォルニアを代表するワインであろう。
Mt Harlan(マウントハーラン)の南、サリナス・ヴァレーの東側、カビリアン山中、標高2000fの高地の山間にあるのが、Chalone・AVAで、唯一のワイナリーがChalone Vineyard (シャローン)
ここも典型的石灰岩土壌で、シャルドネとピノ・ノワールを栽培している。そのブルゴーニュ・タイプのワインは秀逸で、その評価は高い。