ザーレ・ウンストール(Saale-Unstrut)のブドウ畑は、ライプツィッヒとワイマールのほぼ中間、ザーレ川とその支流ウインストール川流域の傾斜地にある。北緯51度当たりに広がるから、最北端の葡萄栽培地である。
ブドウ栽培の歴史は古く、10世紀頃からである。現在の栽培総面積660haだが、ドイツ統一以降は、畑やワイナリーは確実に増えつつある。
土壌は、フランケン一帯の土質の延長で、石灰岩土壌。
大部分は協同組合で醸造されるが、州立の醸造所でも造られている。
栽培主品種は、下記に示すが、ミュラー・トゥルガウが多い。リースリングも少量だが植えられている。
ワインは辛口。多くは軽く薄口だが、上物は香り高いコクのある力強いものもある。
特筆すべきものとして、ナウグブルグ(Naumburg)の発泡酒(Sekt)<Rotkappchen>がある。旧東ドイツのワイン産業ではずば抜けた存在で人気も高い。
ベライヒは、以下の3つ。
ライプツィヒは、ベルリンに次ぐ旧東ドイツの第二の都市である。現在国際見本市開催など活気に満ちた商工業都市であるが、同時に文化都市でもある。
ハイデルベルグに次ぐ歴史と伝統を持つ「ライフツィヒ大学」は、ゲーテやニーチェ、音楽家のシューマンやヴァグナーが学び、日本の森鴎外や池田菊苗(味の素発明)が留学した。
町の「聖トーマス教会」は、ルターの新教布教の説教を行なった教会としても有名だが、J・S・バッハが亡くなるまでの27年間、オルガン奏者兼音楽監督を務めたところである。メンデルスゾーンの生誕地でもあるライフツィヒは、文字通り学芸と音楽の町である。
*Auerbachskelle(アウアーバッハケラー)と言う酒場がある。
ゲーテの「ファースト」にも登場する古い酒場である。地元ののワインや料理を愉しむには絶好の場所であろう。
ワイマールも又、文化の都である。ゲーテが、ワイマール公国の行政官(後宰相)として、27才の時招聘され、82才で死ぬまで過ごした小都(当時人口6,000人)としてよく知られている。
ゲーテは、激動する時代(フランス革命、ナポレオン戦争)に、小国・ワイマールの政務を献身的に果たした。Jena(イェーナ)大学の監督をはじめ、各種学校教育を整え、軍隊を減らし、道路整備、鉱山開発など産業振興をはかった。外務、財政にも携わった行政官で政治家であった。ただロマンティクな詩を書き、夢を語る芸術家ではなかったのである。
(イェーナ大学は、世代をリードする錚々たる教授を擁していた。ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、ショーペンハウエル。シラーも歴史学の教授としてゲーテが迎える。)